みんな思い込みの世界で生きてんねん

この前、近所にある広い森林公園の中を散歩していたら、
2人の幼稚園児が空を見ながらこう言うてたんや。

幼稚園児A : なぁ、あの雲ってバナナに見えへん?
幼稚園児B : ホンマや!バナナや!バナナ!
幼稚園児A : あっ!見てみ!あっちの雲はリンゴに見えるで!
幼稚園児B : ホンマや!リンゴや!リンゴ!

ま、私も子供の頃は同じように雲の形を見ながら、
「あの雲は○○に見えるで!」言うて遊んでたし、
誰もが子供の頃はそういう遊びをしたんちゃうかな?

そんで、何が言いたいのかっちゅうとな、
ホンマは雲は雲であってバナナでもリンゴでもないねん。
せやけど、自分が「あの雲はバナナに見えるで!」思ったら、
ホンマにその雲がバナナに見えてまうし、
その雲が車に見える思ったらホンマに車に見えてくんねん。
つまり、同じ雲でも見る人が違ったら違うもんに見えるんや。

そんで、それは普段の生活でもそうやねん。
「この人は悪そうな人やな」思ったら、
ホンマにその人が悪い人に見えてくるし、
「この食べ物は体に良さそうやな」思ったら、
ホンマにそれを食べたら健康になったように感じてくんねん。

そう考えてみたら、
人間っちゅうのはみんな同じ1つの世界の中に生きていながらも、
それぞれが「自分の思い込みの世界」の中で生きてるのかもしれへんな。
ま、別にそれが悪いわけでもないし、
みんながそれぞれ自分の見たいようにこの世界を見ればええねん。

自分がこの世界をどう見るか?
自分がこの人生をどう見るか?

同じ世界の中に生きていながらも、
それによって自分の目の前に広がる景色は全然変わってくるし、
ある人にはこの世界が楽園に見えてるのに、
ある人にはこの世界が地獄に見えてることもあるわけや。
どうせやったら、自分が楽しくなるようにこの世界を見たらええやん。

ちなみに、公園にいた2人の幼稚園児は雲を見ながら、
「バナナや!リンゴや!」言うてキャッキャしてたんやけど、
私の目にはその雲はビールジョッキに見えたで(笑)
やっぱり、同じものでも人によって見えるもんが違うねん。

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今回のポイント

【自分が気持ち良くなるようにこの世界を見る】





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達磨大師が弟子に教えたかったこと

昔、中国禅宗の開祖とされている人物で、
達磨大師(だるまたいし)いうインド人仏教僧がおってな、
ある日、その弟子が達磨大師に悩みを相談したんや。

弟子 : 私の心の中はいつも不安でいっぱいですねん。
達磨大師 : ほう。それで?
弟子 : この不安を私の心の中から取り除いてくれませんやろか?
達磨大師 : ええよ。そんなん簡単や。やったるわ。
弟子 : ホンマですか!ありがとうございます!
達磨大師 : そんなら、まずその不安とやらを私の目の前に出してくれや。
弟子 : え?そんなことできるわけないやないですか・・・
達磨大師 : ここに出せへんものは取り除くことできへんやん~(笑)

ま、これは一休さんでも似たような話があったわな。
虎を捕まえたるから屏風の中の虎を出してくれいう話な。

そんで、達磨大師は弟子に何が言いたかったのかいうと、
不安いうものは心の中にあるもんであって、
「これが私の不安です」言うて目の前に出すことはできへん。
つまり、不安いうものは実体がないものやねん。
人間っちゅうのはその実体がないもの恐れてんねん。

不安いうものはその人が心の中で勝手に作り出した幻やねん。
実際に起きてることに悩むなら話は分かるんやけど、
不安は現実ではなくて実際にはまだ起きてへんことやねん。
そんな実体のない幻を恐れて悩まなくてもええねん。
そのことを達磨大師は弟子に教えたかったいう話や。

ちなみに、「だるま」って赤くて手足の無い丸い人形あるやん?
あれは達磨大師をモデルにして作られたっちゅう話やで。

しかも、何で「だるま」には手足が無いのかいうたら、
達磨大師は洞窟の岩壁に向かって9年も座禅を組んで修行した結果、
手足が腐って無くなってもうたいう話やで。
正直、アホやな(笑)

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今回のポイント

【実際に起きていないことで悩まない】





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どんなことでも楽しもうとすればええねん

せっかく、みんなで何かやろう、どっか行こう言うてるのに、
「あれつまらん」とか、「これつまらん」とか、
すぐそんなことを言うてくる人って何なん?

どんなことでも自分がそれを「楽しもう」とさえすれば、
そこに「楽しみ」を作り出すことができるんやで。

例えば、「鬼ごっこ」いう遊びは、
鬼が逃げる人にタッチするいうだけの遊びや。
たったそんだけのめっちゃシンプルな遊びなんやけど、
小さい子供らはキャッキャッ!言うてめっちゃ楽しんでんねん。

他にも「かくれんぼ」は鬼が隠れてる人を見つけるだけやし、
砂場で山を作る遊びはただ砂を集めて高くして固めただけやし、
その山に穴を掘って水を流すいうアレンジもできるけども、
どの遊びもめっちゃシンプルなんやけど子供らはめっちゃ喜ぶねん。

それは子供らがその単純な遊びの中に、
自分らで「楽しみ」を作り出してるからやねん。

ま、さすがに大人になってから鬼ごっこしたいとは思わへんけど、
それでも、それを本気で「楽しもう」とさえすれば、
そこに「楽しみ」を作り出すことができるんやで。

あと、「人生つまらん」とか言うてる人もおるやん?
それも同じことで「今の生活を楽しもう」としてへんからや。
自分の今のその生活の中に少しでも楽しみを感じようとしてへんからや。
どんな生活だろうと、どんな仕事だろうと、どんな状況だろうと、
自分がそれを楽しもうとすればそこに楽しみが生まれてくるんやで。

そういえば、昔ホリエモンがまだ刑務所に入ってた時、
刑務作業で封筒かなんかを毎日作らされていたらしいんやけど、
正直、そんなもん毎日作ってても楽しくないやん?
せやけど、ホリエモンは違ったんや。
「どうしたらもっと早くたくさん封筒を作れるんやろ?」思ったんや。
そんで、ああしたらええかも、こうしたらええかもとか、
そうやって自分でいろいろ考えた結果、
最初は遅くて少ししか作れへんかった封筒が、
出所する時には刑務所内で1番早く大量に作れるようになったんやて。
きっと、ホリエモンはただ封筒を毎日何となく作るんやなくて、
それを何とかして「楽しもう」としたんやと思うねん。

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今回のポイント

【楽しみは自分で作り出せる】





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物は出し惜しみせずに使うべし!

せっかく高価で綺麗な靴を買ったいうのに、
「汚れるのが嫌やわ~」とか言うて、
今まで履いてた安い靴をいつも履いてる人が近所におるんやけど、
「一体、あんたは何のために新しい靴を買ったん?」思うねん。

ま、そういう気持ちも分かるで。
新しく買ったピカピカの靴を汚したくない気持ちも分かるで。
せやけど、靴は履くために買ったわけであって、
履かずに靴箱に仕舞ってずっと保管してたり、
靴を飾って眺めて満足するために買ったわけちゃうやろ?

靴は人が履くために作られたわけなんやから、
靴は履いてこそ価値があんねん。
靴を買っても履かへんかったら靴としての意味が無いねん。
それに靴だって誰かに履いてもらった方が嬉しい思うで。
ま、最初からその靴は自分が履くためではなくて、
コレクションとして飾っておくために買ったんなら話は別やけどな。

これは靴だけの話やなくて服、アクセサリー、バッグとかもそうやで。
「使うのもったいない」、「汚れるの嫌や」いう気持ちも分かるんやけど、
食べ物を買って「食べるのもったいない」て食べへんかったらどうなる思う?
腐るで。食べ物を買って食べずにずっと飾っておくアホおらんやろ?
靴や服は食べ物ではないからいつまでも腐らへんけども、
本来の靴や服の意味を考えたら違う意味で「腐る」で。

せっかく高価な靴を買ったんやから出し惜しみせずに履けばええやん。
自分自身にその高価な靴を履くことを許可したれや。
それに、高い靴を履けば自分の気持ちも変わってくるで。
前向きな気持ちになって自分に自信が出てきたりもするで。

せやけど、せっかく高い金出して靴を買ったその日にサッカーして、
その靴を泥だらけにしてまうのはちょっと止めた方がええかもな(笑)

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今回のポイント

【物は使ってこそ価値がある】





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ルビンの盃

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上の画像は「ルビンの盃」と呼ばれているトリックアートで、
1915年頃にデンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した
1つの図形でありながら2種以上の見え方ができる多義図形や。

白い部分を背景やと認識すれば、
そこには盃の絵が浮かんでくるんやけど、
黒い部分を背景やと認識すれば、
そこには2人の横顔が浮かんでくんねん。

要するに、同じ1つの絵でも見る人の認識が違ったら、
それは全く違う絵に見えてまういうことや。

そんで、それはこの世界も同じやねん。
同じ1つのこの世界に生きていながらも、
人によってこの世界の見え方が違うねん。

同じ夜景を見ていても、
ある人は「綺麗やな~」思てても、
ある人は「目がチカチカするだけやん」思たりすんねん。

同じ仏像を見ていても、
ある人は「歴史を感じるわ~感動やわ~」思てても、
ある人は「小汚いただの人形やんけ」思たりすんねん。

同じこのブログを見ていても、
ある人は「スピババさんええこと言うわ~」思てても、
ある人は「別にそんなええこと言うてないやん」思たりすんねん。

別にどっちが正しくて、どっちが間違いいうことではなく、
自分が認識したことが自分にとっての真実やねん。

せやから、「生きることは楽しいで!」思うのも、
「生きることは辛く悲しいことばかりや・・・」思うのも、
全てはその人が人生をどう見てるかの違いだけであって、
どっちも正しいっちゅうことや。

全てのことには「ええ」も「悪い」も最初から決まってるわけやなくて、
その出来事に自分がどう認識したか?どんな意味をつけたか?
それによって見えてくる世界が変わってくるんやで。

というわけで、
もし、今あんたに見えているこの世界の景色が灰色なんやとしたら、
あんたの「認識」と「意味づけ」を変えることで別の世界が見えてくるで。
どうせやったら、楽しい世界を見ながら生きていこうやないかい!

そういえば、「認識」と「意味づけ」は同じ意味かもしれへんな。
それはよう分からへんけど、ま、ええか(笑)

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今回のポイント

【世界は1つ、見え方は無数】





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