過去にそういう経験があったからこそできること

イジメはアカン!
イジメは許されるべきことではないんやけど、
もし、子供の頃にイジメを受け続けて大人になった人が、
「自分のようにイジメられてる子供を助けたいんや!」思て、
現在、イジメを無くすような仕事で社会に貢献してるとしたら?

ヤクザはアカン!
ヤクザは社会にとって嫌悪されるべき存在なんやけど、
もし、ヤクザが足を洗って心を入れ替えて更生して、
「自分みたいな元ヤクザでも人生やり直せることを伝えたい!」思て、
現在、牧師になって世の中の迷える人を救ってるとしたら?

麻薬はアカン!
麻薬は人間の脳をおかしくするから手を出したらあかんのやけど、
もし、麻薬に溺れて人生を狂わせた人が刑務所から出てきて、
「麻薬の恐ろしさと愚かさをいろんな人に伝えたい!」思て、
現在、いろんな場所で講演活動して全国を飛び回ってるとしたら?

現在、そういう仕事をして社会の役に立ってる人らは、
「過去にそういう経験があったからこそ」できるわけや。
そう考えたら、その人らにとってそういう経験は無駄ではなかったんや。

いや、イジメも、ヤクザも、麻薬も、全部アカンで!
できれば、そういう経験はせえへん方がええんやけど、
今そういう経験を社会に活かすことができてるんやったら、
その人らにとっては「人生で経験すべきこと」やったのかもしれへんな。

ま、そういう経験をせずに他の楽しく健全な経験ができていたら、
今とは全く違う別の人生を歩んでいたんやろうけども、
もしかして、その人らはこの世に生まれて来る前に、
「そういう経験を通して社会の役に立ちたいんや!」思て、
そういう人生を自分で選んで生まれてきたのかもしれへんけどな。

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今回のポイント

【自分の過去をポジティブに考える】




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人は勝手に相手のストーリーを決め付けたがる

今日、コンビニの前を通りかかったら、
その駐車場には特攻服を着た金髪の兄ちゃんたちの集団がおって、
爆音でバイクをブンブン鳴らしてパラリラパラリラさせてたんや。

一般的にそういう光景を見たら、
「どうせ、こいつらろくに学校も行ってへんのやろ?」
「どうせ、こいつら今まで親に迷惑ばかりかけてきたんやろ?
「どうせ、こいつらまともな職業に就くこともできへんのやろ?」
そんなふうに自分で勝手にその相手の人生ストーリーを作り上げて、
「こいつらはクソみたいな人間なんや!」て決めつけてしまいがちやねん。

せやけど、自分はその相手を一瞬見ただけであって、
その相手のことなんか全く何も知らへんのや。
それなのに自分でその相手の人生ストーリーを勝手に作り上げて、
「こいつらはこういう奴らに決まってんねん!」思てるわけや。

つまり、自分が勝手に相手をそのように決めつけただけであって、
必ずしもそれが真実であるいうことではないねん。

もしかしたら、仮装パーティーでその日だけそういう恰好をしていて、
普段はどこにでもいるような普通の学生なのかもしれへんし、
もしかしたら、ドラマか雑誌の撮影でそういう恰好をしていて、
よく見たらテレビで人気のある役者なのかもしれへんわけや。

それなのに、人間いうのはいろんなことに勝手にストーリーを作って、
それを「真実」として自分の中に納めてしまいがちやねん。
道ですれ違ったあの人はたぶんこういう人やとか、
テレビで見るあの芸能人はたぶんこういう人やとかな。

せやけど、喋ったこともない、ちょっと見ただけの人のことなんか、
その人がホンマはどんな人なのか分かるわけがないねん。

自分自身のこともよく分からずに「自分探し」とかいうて、
どっかに旅に出て自分を探しに行ってまう人もおるくらいやで。
自分のこともよく分からんのに、
ましてや、人のことなんか分かるはずないっちゅうねん。

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今回のポイント

【勝手に相手のストーリーを決め付けない】





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もっと自由に生きてみいへん?

「生きてるのが辛いんや!」とか、
「もう死にたいねん!」とか、
そんなことを言うてる人もおるけど、
そんなこと言うてる人にええこと教えてやろか?

あのな、この世界っちゅうのは悪いことさえせえへんかったら、
あんたが何をしようと自由なんやでぇぇぇぇ!!!!

あ?知ってたって?
そんなら今すぐ自分がやりたいことやったらええやんけ!

自分が他人にどう思われるかを必要以上に気にしてたり、
自分が他人に幸せそうに思われるように生きてたりする人もおるけど、
他人の目なんか気にせずに自分がホンマに生きたい生活をしたらええやん。

さっきも、言うたけど、
この世界っちゅうのは悪いことさえせえへんかったらええねん。
この世界で生きるなら社会のルールちゅうもんがあるわけやから、
そういうことは誰もが絶対に守らなあかんねん。
せやけど、それさえ守ってたら自分がどう生きるのは自由やねん。

私は今自由に生きてるで。
たまに近所から「怪しいババア」とか言わてることも知ってるんやけど、
今はもうそんなことはどうでもええねん。
他人にどう思われようと私は何も悪いことはしてへんし、
他人の評価なんか屁みたいなもんやと思ってんねん。
私は別にみんなから好かれたいとは思ってへん。
私を好きな人もいれば嫌いな人もおってそれでええねん。
そんで、私は私のことを好きな人を大切にすればええねん。

たった1度のこの人生、
自分のやりたいように好きに生きたらええねん。
そこに他人の評価は関係ないねん。
他人の評価に自分の人生をコントロールされなくてもええねん。
どこの国に行ってもそこには「そこのルール」があんねんけど、
それさえ守ってたらどう生きるかは自分の自由やねん。

私は「スピリチュアルに生きる」いう道を見つけた。
あんたはどうや?あんたはどんな道を見つけるんや?
ま、どんな道でもええんやけど、
他人の目を気にせずホンマに自分が進みたい道を選ぶことやで!

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今回のポイント

【ルールを守れば自由に生きていい】





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失敗はもしかしたらそう見えるだけかもしれへんで

何かに失敗したらすぐに「最悪や・・・」言うて、
この世の終わりみたいな顔して落ち込んでる人もおるけど、
何かに失敗してもそれで自分の人生の全てを判断したらあかんで。

例えば、大学受験に失敗して「もう人生アカンわ・・・」いうて、
仕方なく地元の小さな会社に就職したとするわな?
せやけど、そこでイケメンで優しい男に告白されて、
数年後にめでたく結婚して今めっちゃ幸せやとしたら?

もし、昔、大学に合格してめでたく大学生になってたとしたら、
今の男に出会って幸せな結婚をすることもなかったんやで。

そう考えてみたらあの時に大学受験に失敗したことは、
ぶっちゃけ、今の自分にとっては「良かったこと」になるわけや。

せやから、今の自分に失敗、トラブル、挫折、事故、病気、
そういう「最悪や!」思うようなことが起きたら、
その時は「もう自分の人生終わってもうた・・・」思うかもしれへんけど、
それがいつかは「あれはあれで良かった」思うことがあるかもしれへん。
今マイナスやと思うそのことがこの先の人生にとってはプラスかもしれへん。
せやから、何かに失敗してもそれで自分の人生の全てを判断することないねん。

今のマイナスな状況は残念で悔しいと落ち込んだりしてもええんやけど、
その気持ちをいつまでも引きずってグダグダ言うことは止めんしゃい。
もしかしたら、今の状況がいつかプラスに働くかもしれへんのやから、
気持ちを切り替えて涙を拭いて前を向いてしっかり人生歩いていきまっしょい!

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今回のポイント

【1つの失敗で人生の全てを判断しない】





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自分の体は「自分」ではないねん

自分て何のことやと思う?
自分てどこにいると思う?

あ?自分のこの体が自分やて?
なるほどな。そんならちょっと考えてみよか?

まずは、自分の体から両足を切り離したらそれは自分か?
それは「自分の足」ではあるけど「自分」ではないわな?

次は、自分の体から両腕を切り離したらそれは自分か?
それは「自分の腕」ではあるけど「自分」ではないわな?

最後に、自分の体から頭を切り離したらそれは自分か?
それは「自分の頭」ではあるけど「自分」ではないわな?

そもそも、自分の頭を切り離したら死ぬやん?
もう死んでるのに、「死んだことに気付いてる自分」て何なん?

冷静にそう考えてみたら、
自分の体は「自分」ではないっちゅうことやん?
「自分」いうものが1つの肉体の中に入ってるだけで、
人間の体そのものは「自分」ではないっちゅうことや。

そんなら、「自分」て何なん?
「自分」てホンマはどこにおるん?
ま、簡単に言うたらそれを「魂」いう言葉で表すこともできるわな。

つまり、何が言いたいのか言うたら、
「自分の体は自分ではない」いうことや。
自分の体は自分の意思で自由に動かせるし、
怪我したり、病気になったら痛みや苦しみも感じるんやけども、
自分の体は「魂の入れ物」であって、
それは「自分そのもの」ではないっちゅうことや。

せやから、死んで肉体が滅ぶことを怖がることはないねん。
「死」いうのは「肉体の死」であって「自分の死」ちゃうねん。
自分の肉体は死んでも、ホンマの「自分」は死なへんのやから安心せえ。

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今回のポイント

【体は魂の入れ物である】





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